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高鍋の先賢 その②

不定期連載「高鍋の先賢」。

第2回はこの人!

○秋月 種茂(あきづき たねしげ)

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↑秋月種茂胸像(高鍋町美術館)

生没年1743年(寛保3年)~1819年(文政2年)

高鍋藩第7代藩主。

寛保3年、江戸麻布にある高鍋藩邸に生まれる。6代藩主・秋月種美の子。母は黒田長貞の娘。幼名は黒帽子。後に兵部と改める。

官位は従五位下。山城守。

米沢藩主で名君と呼ばれる上杉鷹山の兄にあたる。兄弟ともに聡明で学問をよく好んだ。

宝暦10年(1760年)、父種美の隠居により18歳で家督を継ぐと、即座に藩政改革に臨む。門戸を問わず有能な人材を登用、また、人材育成こそ国の大事とし、永安7年(1778年)には藩校明倫堂を創設し、武士に限らず民百姓に対しても開いた。

この明倫堂からは三好退蔵、石井十次ら明治に活躍する人材が多く出ている。

その他、治水工事、大規模な開墾事業、換金作物の植え付けの奨励、山林資源の再利用の促進、馬牧を盛んにして農業生産の増大と牧畜収益の増加を図るなど、経済の充実に努め、高鍋藩の最盛期を築いた。

また、農民の3人以上の子供には一日米二合または麦三合を支給し、産婆を大阪から招聘、間引きの禁止、双子の出産に対しては貴賎問わず扶助料を支給するなど、今で言う児童福祉政策を実施している。

このような政策は日本国内はもちろん、同年代のどこの国でも実施されていなかった。

天明8年(1788年)、家督を長男種徳に譲って隠居するも、なお実権を握り続けたが、文政2年に死去。享年75。

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明倫堂跡の碑文。ここから多くの先賢が巣立っていった。

1 comment

1 やきとり大将 { 10.02.12 at 10:57 AM }

ブログにこちらの記事を貼らせて頂きました(*^^*)

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