長友勘右衛門水路と長友勘右衛門水路功績記念碑

◆「長友勘右衛門水路」と「長友勘右衛門水路功績記念碑」

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△長友勘右衛門水路。正式名称は大平寺畑田用水路。

 高鍋藩初代藩主・秋月種長が長友勘右衛門に命じて作らせた、高鍋藩で最も古い水路。完成は慶長17年(1612年)。

 高鍋を訪れた長友勘右衛門は、畑地が多いのを見て、「用水施設を整備すれば畑を田に変えることができ、農家の増収につながる。そうすれば高鍋藩も豊かになる」と考え、用水路の建設を決意したという。

 しかし、いくら考えを練っても、いい案が浮かばず、藩の祈願所であった比木神社に百日参りをはじめた。ちょうど百日目の明け方、枕元に比木神社の神様がお立ちになり、水源地と水路順をお告げになった。

 夢から覚めた勘右衛門は、お告げのあった場所に行ってみると、夢を一致しており、早速お告げのとおり設計書を書いて、藩主・種長に進言した。種長も大いに称賛し、勘右衛門を工事責任者に命じた。

 水路の完成によって、畑の多かった高鍋は水田が豊かな土地になったのである。

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△長友勘右衛門水路功績記念碑。岩坂門跡南側にある。

 この長友勘右衛門の功績を称えて、昭和9年(1934年)に長友勘右衛門水路功績記念碑が建てられた。

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